2016-07-25 14:39:38
滋賀県の平和祈念館を訪問。

この祈念館を設置する場所を巡って、県議会で議員同士がかなり闘っていたのを思い出す。最終的には八日市の飛行場のあった東近江市になった。ちょうど、リリースの問題の議論と同時期だったので、議会でよく傍聴しておりました。
基本は第2次世界大戦の悲惨さから学び、二度と戦争を行わないという平和教育の場として利用されている。

しかし、昔に比べて戦争を語るテレビなどが減りましたよね。我々の子供の頃は8月になるとテレビが戦争を主題としたものに変わっていたのに・・・。

戦後70年を過ぎて、経験者が80代、90代となってきたので薄れているのも事実。そして、改憲議論という世相。

さまざまな展示物がありますが、基本は滋賀県の戦争体験を語る場になっています。
そして、気になるのは、やっぱり琵琶湖。

大溝港の桟橋!どこにあったのだろうか?
新旭のヨシって、今ではこんな立派に生えている場所はないですよね?

西の湖だって、20年、30年前はもっとヨシ林があったのに、この10年で一気に変化しています。
さて、戦争中の琵琶湖の使われ方ですが、水上着陸が可能という事で飛行場というのが多かったようです。

舟木飛行場は現在の安曇川の子供の国、この前にゴロタとかコンクリが沈んでいるのは、この飛行場の跡地か?
春のネストシーズンに発見する人も多いのでは?
そして、皆さんご存知の自衛隊のスロープは「大津海軍基地」です。

現在もその姿を我々は目にしております。
現在の光景って、おい、釣りしているよ~。戦時中はここで訓令して、各地から特攻へ出撃していた場所が、現在は釣りしている。やはり平和ですね。

スロープ側は琵琶湖との境界で施設の外側のグレーゾーンとは言え、内側には絶対に不法侵入しないように!
で、戦時中の本来の使われ方。

やっぱり、コンクリが綺麗ですね。しかし、当時の若者の肉体が凄い。やはりこの時代とは違いすぎる。。。
当時の柳ヶ崎の光景。

競艇場のとこ、何も無い!
そして、内湖では捕虜が干拓作業に従事。

今のアヤメとかはオランダ人が従事して、戦後に全て干拓が終了。琵琶湖総合開発で東岸の内湖はほとんど消滅。残ったのは伊庭内湖、西の湖、平湖ぐらい。
そして、海津大崎の道路開通時の写真。

この景色よく見るけど、今と違って桜が植樹される前の景色ですね。
平和を祈りつつ、琵琶湖の昔の姿を見るには最適な場所です。本当に平和を祈り、平和について考えさせられます。
「滋賀県平和祈念館」
http://www.pref.shiga.lg.jp/heiwa/heiwamuseum/
カテゴリー: 雑記帳|琵琶湖